産んでない大きな長男、捨てます。

結婚した途端現れた「大きな長男」通称バブ夫。どこの子かな?自分のおうちに帰ってね。

加害者こそ助けが必要な異常者。

もう無理かもしれない。

カウンセリングを受けよう、そう思って電話したけれど繋がらなかった。

それから電話しようと何度か思ったものの未だに掛けずにいる。

 

夫のことを精神科の先生に相談したとき、

「無理だと思ったらカウンセリングを受けてください」と言われた。

しかるべき、と思った。私には必要だと。

誰かに打ち明けて相談しなければ、心が壊れてしまう。

 

夫の言動がおかしい気がします。モラハラされています。毎日苦しいです、辛いです。

心理士さんに相談すれば、確かに少しは心が軽くなるかもしれない。

 

だけど気付いた、根本的には何も解決しないことに。

私がいくら誰かに助けを求めたところで、当の夫は何一つ変わらない。

夫が変わらない限り、私がどんなにカウンセリングを受けたところでこの生活の何が改善するだろう?

 

 

この漫画というのは田中由美さんの「ミステリと言うこと勿れ」2巻。

ざっくり書いてしまったので正しく&全文はどうぞこちらを読んでください。

(※いじめに関しての漫画ではないので本編のごく一部の内容です)

 

カウンセリングが必要なのは、被害者ではなく加害者。

いじめられる側ではなくいじめる側。

誰かを傷付けて優越感に浸ったりしないと生きていけないってどう考えても異常だし、社会において明らかに悪影響しか与えない。その考え方、行為は有り得ないですよと気付かせ、どうしてそのようなことをするのか加害者本人が抱えている問題を解決して改めさせなければ被害者が増える一方。今いじめられているAが逃げていなくなっても、きっとターゲットを変えるだけでしょ?

考えればごくごく当然のことなのに、現状カウンセリングを受けるのは被害者。

なぜなのか。

 

多分「痴漢に遭った女性」に対してよく言われる「お前の服装のせいだ」みたいなのと根っこが同じなのかなって。

被害に遭う側に問題があったから加害されるのは仕方ないって考え方。

その「被害者側の問題」も加害者に都合のいい理由だよね。

どんな服着てようが理性を保てず自分と他人を線引きできず、加害する方が100%おかしいのに。

 

それで被害者側にカウンセリングを受けさせて、これからこうしたらなんてアドバイスする。被害を受けないように。どうしても無理なら逃げたらいいとか。

この被害を訴えた側をここから離れさせようと、追い出そうとするのも不思議なんだ。

痴漢に遭いたくないなら電車に乗るなとか、日本男性に文句があるなら日本から出ていけとかよく見る。

被害者が悪いと思っているからだよね。

被害者に原因があるんだからその責任を取る(加害される)のは当然、その責任が嫌だって文句を言うならこの場所にはいさせない。出ていけ。

いじめられた人への「逃げなさい」は同じようなものじゃないかな。

「いじめ」が「ひどい」という認識はあるけれど、「じゃあ加害側をどうこうしましょう」にならないのも「あなたがここにいられないのなら、それはあなたの事情だからあなたがどこかへ行きなさいね」ってことなのかなって。

 

これって村八分の延長なのかなぁ。

声を上げる人=和を乱す存在=和から追い出す。

何か訴えたり行動する人に対して、もっと辛い人がいるとか我慢が足りないとかあなたが耐えれば…とか言う人、要するに「黙って大人しくしてろ、波風立てるな」って被害者を責めてる。なんで危害加えられて我慢しなくちゃいけないのかわかんないし、いじめから「逃げる」って表現もなんか嫌だね。なんでいじめられた人が負けたみたいな言われ方なのかな。

 

いじめとかDV、モラハラなんて立ち向かわなくちゃいけないものじゃない。

乗り越えたら強くなるとか、乗り越える必要もないし。

それは最初から不要なハードル。何でそこに置いておくの?ほんとただの障害物。

だから逃げるんじゃなくて「避ける」のだ。障害だから。

 

先生には夫への対処法だとか教えられたけど、何か行動しなければならないのは私。

最終的には「何を言っても相手はわからないので無視すればいいんです」

つまり「おかしい夫」は現状維持。

自分に非はないと思っていて離婚したくない夫が進んで家を出るわけもなく、私が子どもを連れて家を出るしかない。

何か対策を取るのも、今の生活を捨てなければいけないのも被害者。

被害者から距離を取って離さなければならないのは加害者の方ではないか?

なぜ人を傷付けた加害者はのうのうと同じ生活を続けられるのか。

障害の方は堂々と幅を利かせたまま動きもせず、邪魔をされている被害者がわざわざそれをよけないといけないの、おかしい。

道路に大きな石が落ちてて車が通れなくなったら石を排除するよね。

通りたい車に「石に文句があるならこの道を通るな」「車が傷付いても我慢してどうにか通れ」なんて言わないはず。

 

原因はあくまでも加害者。

だからカウンセリング(適切な治療)を受けるのも加害者。

とても理にかなっていると思うんだけど、日本でそれが標準になる日は来るのかな。

今いじめとか被害に遭ってて、でもいじめられている自分が悪いとか、恥ずかしいとか感じて声を上げられない人がいるんじゃないかって思うと、悲しい。

 

夫との暮らしは夫の存在だけで精神が疲弊する感じがする。

夫がこわい。安心して暮らせない。毎日何をされるか不安。

でももう、私はカウンセリングには電話しないだろう。

誰かに話を聞いてもらって理解・共感してもらえるのはきっと精神的には助けになるかもしれない。だけど何も解決しない。

夫に対してこうしましょう、なんて間接的で無意味なアドバイスもいらない。直接アドバイスが必要なのは夫。

本当に助けが必要なのは、夫だと思うよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夫の不可解な言動①

前回から随分間が開いてしまった。

夫について全く書く気になれず…。

吐き出すために始めたブログだけど、夫のこと考えるだけで憂鬱だから。

先日久しぶりに一人で出かけられて、結婚前に働いてたとき大好きだったお店でお昼を食べたり買い物したりと気晴らしできたはずなのにどうにもスッキリしない。根本的に何も解決してないからね。心に錘がぶら下がっていたらいくら楽しいことがあっても気持ちが弾むかって、やっぱり難しい。

 

さて「夫の不可解な言動」について。

(不可解じゃない言動なんて多分ないんだけど)

夫は平気で嘘を付く人間なのだけれど、言っていることが嘘だとわかる相手にもなぜか嘘を付く。嘘というか「事実と異なること」かな。

 

夫と話していても全く意思疎通が図れず徒労に終わるので、連絡はLINEでしてくださいと頼んでいた。言った言わないになるのも嫌なので証拠を残すためにも。その頃夫が送ってくる内容はおおよそ私への恨み言で、自分がしたことは全部きれいに忘れて私にこんな酷いことを言われた、あんな酷いことをされたという誇張した内容だった。

夫が何か送ってくる。夫に私の言葉が通じないことはわかっているので、一言一句わかりやすく誤解のないよう、丁寧に否定する。

そのうち「LINEも無視するし」とか「返信もないし」とか送られてくる。

はてなでいっぱい。返信している。つまり無視もしてない。無視=肯定にされかねないし、なぜか被害者面してる人に侮辱されて黙っているわけにはいかない。

大体私が送ったLINEに「返信くれない」って返信してるの、おかしいって気付かない?

 

月食費を渡しているにも関わらず

「食費もくれない」とLINEが来る。

家で家族の前で毎食欠かさず食事を摂っているにも関わらず

「ご飯食べてない」だの「食事なし、ひどい」みたいな内容が送られてくる。

 

いやいや病気の時すら食事抜いたことなんて一度もないし、その食べてる食事の代金はどこから?食費受け取ってるから買えるんでしょ?どういうこと???

 

これが外部の人間…会社の人だとか、友人だとか事情を知らない人に向けて言うならわかる。

「食費をもらえない」「ご飯も食べさせてもらえない」……

本当ならなんて酷い奥さんだと、大いに同情されるだろう。

でも違う。夫が送っている相手は、夫の要求に応えている私だ。

「全部やっている」ことを知っていて証拠もある当の本人に、「〇〇してない」と事実でないことを訴えて、一体何になるのか?

 

全く理解できず、腹に据えかねて質問した。

「〇月〇日、請求されたレク代2万5千円と一緒に食費1万をお渡しし、あなたは受け取っています。何度も食費と言われ、その度にお渡しした旨を毎回返信していますが、返信がない・食費をもらっていないとはどういうことでしょうか?」

 朝送ったこのLINEに夫が返信してきたのは次の日の昼。

「明日休みだから娘ちゃんも息子くんもクラブに入れなくて大丈夫です。送り迎えします」

は?

何これ?

私の質問はなかったかのようにスルー。ご機嫌取りなんだろう、送り迎えを申し出て(普段「やりたくないから」送り迎えは一切やっていない)終わり。

無視してるのはどっち?

 

つまり。

夫は私が食費を渡していること、LINEも無視せず返信していることはわかっている。

なので都合が悪くなると答えず、話を逸らす。

ではなぜ私がやっていないかのように全否定するのか?

「自分の100%望む通りになっていない」からだ。

LINEの返信内容も気に食わない、食費も少ない、好きな食事ができない。

だけどここが夫の狡猾なところで、決して「俺の望み通りにしろ」とは言わない。はっきり要求しない。自分がしてほしい通りに口に出したら、わがままな夫=自分が悪者になるから。

あくまでも自分は被害者で、私が加害者・悪者でなくてはならない。

自分の立場が守られなくなる、優位に立てなくなるものね。

だから具体的に「こうしろ」とは絶対に言わない。

本当に言いたいのは

「(俺の望むような)返信をしない(だからしろ)」

「(毎食外食できる額の)食費をくれない(だからよこせ)」

「(きちんとした)ご飯を食べてない(だから食べさせろ)」

ということなんだろうに。

夫が満足しなければ、私がしていることは全部していないことになるのだ。

すごいねぇ、何様なんだろう。

そうだ、モラ夫様でした。

 

私は夫に尽くして要求にすべて応えなければならないらしい。

現状を招いたのは自分の言動の結果で、原因は自分。なのに「今自分が置かれている状況」しか見えないから、「今俺は何もしてないのに妻がひどい仕打ちをする」となる。

応えてやったことすら「自分が満足したら」という基準で物事を量られマイナスにされるなんて、こちらからすればたまったものじゃない。

 

そもそも夫は付き合い始めたときから要求が過剰だった。

「〇〇してくれない」「〇〇してくれればいいのに」

何度そんな責められ方をしただろう。

「こぼしたら拭いて」に対しての返答が

「ちょちょっと拭いといてくれればいいじゃん」

ちょちょっとだから何?自分でやれ。自分の後始末くらい自分でしろ。

人にしてもらうことを当然のように要求し、それをしない私が悪いことにされる。

私の感覚では「〇〇してもらう」というのは相手の好意に感謝するときに使う言葉だと思っていた。「〇〇していただいてすみません」とか「〇〇してくれてありがとう」みたいな。

初めて「〇〇してくれればいいのに」と言われたとき、何でそんな自分勝手な言い草で私を責められるんだ?と頭が混乱した。

 

夫は交際中のメールでも誤字脱字がひどかったので日本語が不自由なんだと思っていたが、こういう発達だか自己愛だかモラ夫ならではの不可解な話し方をしているんだと最近気付いた。日本語なのに意味がわからなくて、ただモヤモヤと不快な気持ちが残る。

私の話はトーンポリシングで遮られ、自分が理解しようともしないのにまるで私がおかしなことを言っているかのように「意味がわからない」と一蹴されておしまい。

夫の「話し合おう」は「お前の話を聞きたいんじゃない、俺の望みを叶えろ」だった。

何度話し合っても後日また「話し合おう」と言う。いくら私が言葉を重ねても伝わらないはずだ。聞く気がない、自分の要求を通したいだけなんだから。

 

プロポーズされたとき、夫のセリフに引っかかった。

「みつたと結婚して、幸せになりたいです」

一般的なのは「幸せにします」では…?と思ったけれど、別に私だけ幸せにしてもらいたいなんて思ってなかったし、「一緒に」幸せになりたいということだと好意的に解釈してしまった。

けれど今思うと夫は「自分が」幸せになりたいと言っていたんだよね。

ただの願望の発表。

全部正直に言ったら誰も結婚しないもんね。

さすがだね、モラ夫。

意図的に言葉足らずなモラ夫語、普通の人にはわからんよ。

 

今夫は「みつたが俺を幸せにしてくれない」としか思ってないんだろうな。

自分は「真面目に仕事してるだけ」「普通に暮らしてるだけ」。

妻は自分の思い通りに生活させてくれない。

だから嘘も隠し事も必然で仕方ないことで、自分が責められる謂れはない。

幸せになりたいと言ったのに、幸せにしてくれない私が悪いのだ、夫にとっては。

疲れるねーほんと。

フラリーマン、された側。

夫婦関係にとって一番大切なのは「誠実さ」だと思っている。

他人と生活していくのに、相手を信頼・信用できなくてどうして一緒に居られるだろうか。

 

せい‐じつ【誠実】
[名・形動]私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。「誠実な人柄」

(デジタル大辞泉より)

 

フラリーマンはその真逆をいく行為。

それで夫婦が円満になるなど到底思えない。

あの日、夫はただの裏切り者になった。

 

息抜きは大事だよ。育児中は特に。仕事も大変だし、自分の時間なくなるよね(夫は育児してなかったんだから存分に自分時間あったけどね)。

でもそれって配偶者に隠れて、嘘ついてしなきゃいけないことなのかな。「オトナなんだから秘密の一つや二つ」くらいに軽く考えていないか。

代わりに○○してあげればいい?

バレなきゃいい?

バレても謝ればいい?

 

「嘘をつき続けたら信用されなくなる」というシンプルなことが、夫には理解できない。

「俺を信頼できないって言う人(私)にキャッシュカードは渡せない。返せ」とか平気で言っちゃう。信頼できなくなった原因は無視。

よく言うのが「別に浮気したわけでもないのに」。だから責められる筋合いはないらしい。浮気以外は全部セーフってどんだけ自分に甘いんだ。大体一緒に競馬に行ったのが本当に同僚(男)なのか、浮気じゃないのかなんて調べようもない。だけど俺は本当のことを言っているのだから信じろと?そもそも嘘をついたのは自分なのに。

大事なのは自分を守ることだから平気で矛盾したことを言う。「遊びにいきたかったけど、言ったら反対されると思ったから」そう正直に言えばいいものを、「私がイライラしていたせい」で俺は言えなかった、嘘をつくしかなかったと言わんばかりの言い訳。嘘をついてまでどうしても競馬に行かなくちゃいけない理由って?イライラに気付いてたんだね。じゃあイライラしてたのはなぜ?

 

 

この1ヶ月後くらいだからね、発覚したの。

夫、必要だったのは「既婚者」「子持ち」ってステータスだけなんだろな。40過ぎて独身の人、会社で白い目で見られてるってバカにしてたもんね。

 

フラる人が一番大事なのは自分。

嘘をついて関係が良くなるなんてあるわけない。

多分、会社に嘘ついて休まないよね。

なぜ?

だけど妻に嘘ついてカラ出勤するのは構わないの?

なぜ?

妻を軽んじてるからだよね。

誠実に対応しようと思ってないからだ。

育児したくない、妻の話は愚痴や不満ばかりで聞きたくない、自分の時間がほしい、まだ遊びたい。家庭を、育児を、妻を何だと思っているんだろう。

今実家にいて、仕事中子どもたちは母が見てくれている。食事の用意や洗濯もしてくれる。ものすごくありがたい。だから出勤前・帰ってきたら積極的に家事をやる。母の「子どもたちは今日はこんなことをした」「こんなに大変だった」って話をちゃんと聞く。というか聞きたい。寄り道する時間なんてない。子どもを寝かしつけるまで残り3時間ほど。やることはたくさんあるのだから。

私の子どもだから当たり前?

夫の子どもでもあるはずなのに、夫は仕事してるとそれを理由に全部免除されるらしい。

何で?

私も今仕事してる。けど育児が大変だってわかってるから母に感謝して、負担軽減のために自分にできることをやる。

育児に関わらず、故に大変さを知らず、当事者意識もないから自分のことばかり。それで後から居場所がないだの言われてもね。自分が手放したんでしょ、としか。

 

結婚したら永遠に愛が続く?

んなわけない。

愛情は無尽蔵に湧き出てこない。

食事をしないで動き続けられる人なんていないように、愛情をもらってそれを糧にさらに大きな愛情を返せる。そうやって愛情の贈り合いがあって初めて良い人間関係が築けると思う。愛情をもらえなくて、こちらだけ愛情を注ぎ続けるのは無理だ。相手から誠実さを感じられなくなれば「この人は私に愛情を注ぐつもりはない」と判断して離れるのは当然。搾取されたい人なんていない。

親ならね、子どもに多少の無理はしても愛情注ぐよ。でも何度も言うけど私は夫の母親じゃない。何をしても謝れば許されると思ったら大間違いだし、付き合いきれないと思ったら見放す。育てる義務も最後まで面倒を見る責任もないんだから。

何かの話し合いで「だってもう俺のこと好きじゃないんでしょ」と言われたときは顎が外れるかと思った。カラ出勤以外にも何度も自ら信用を失ってきて、それでも自分が愛されているという自信はどこから?自分は無条件で甘やかして大事にしてもらえると思っている。私をママ扱いしているからに他ならない。対等な、私も愛情が必要な人間だとわかっていない。

 

夫婦関係は結婚したら出来上がりではないし、放置していたら壊れる。日々お互いへの思いやりを重ねて、メンテナンスをして強固にしていくものだと思う。

 

息抜き、大事だよ。そこは否定しない。

だけど隠す必要ある?「妻に隠し事をしている優越感」のためとか?相手を傷つけて、「隠さなければいけない理由」を勘繰られて、信頼を失って、そんなリスク負わないと息抜きってできないの?そんなにバレない自信があるの?本気でわからない。

フラリーマンしないと家庭が円満にならないと本気で思っているなら、そもそもその家庭はすでに壊れてる。しなきゃいけないことがズレてる。そしてフラリーマンを「家庭を円満にするため」じゃなくて「自分が何かから逃げるため」の言い訳にしてるだけって気付いた方がいい。その何かと正面から向き合わない限り、いくら息抜きしようが何も解決しない。

きっと近いうちに好きなだけ自由時間得られるよ。

孤独死とセットだろうけど。

 

どんどん自分を褒める。

自己肯定感、育児をしたことのある人なら大抵みんな地の底まで落ちたんじゃないだろうか。

想像していた「育児の大変さ」って傷も癒えぬ間にする子どもの世話とか寝不足とか主に身体面に関してで、まさかこんなに精神をやられるとは思ってもみなかった。

 

私がようやく自己肯定感を取り戻したのは二人目が生まれてからだと思う。

下の子の世話があんまりスムーズにできたからびっくりした。

上の子のときは2リットル出血したりと危険な出産だったけれど、下の子はすんなり生まれて身体のダメージが少なかったのもあるかも。

3年ぶりの新生児だけど「強くてニューゲーム」状態だった。

上の子のとき、手探りで確信もないまま不安になりながら必死にやっていたあれこれ。実はちゃんと経験値を得られていて、全く自覚なかったけどレベルアップしてたんだ…!って感動した(自分に)。ドラ〇エとかみたいに音楽が流れて知らせてくれていたら、当時どんなに自信になっただろう。

下の子が泣いていても、前ほど焦らなかった。なんとなく何を欲しているかわかった。何が必要で何の準備をすればいいか慌てることもなかった。

手際が良くなっていたというのもあるけれど、一番の要因は「迷う」ということが格段に減ったことだと思う。

出産前にいくら育児書を読んで母親学級に行っていても、所詮付け焼き刃の知識。実際やってみると「百聞は一見に如かず」を身をもって実感することばかりだった。股の傷の痛み、細切れ睡眠のしんどさ。ミルクの適量、体重の増え方、うんちの状態。わからないことばかり。

これでいいのかな、大丈夫なのかな…相手は一瞬の油断も許されない生き物。とてつもない緊張感の中、慣れない作業の連続で何をするにも不安なのに、全責任を負いながら常に何かしらの判断を迫られていたように思う。最善を尽くすために迷って、わからないから調べて、やっぱりわからないけどどうにか選択して。毎日「迷い」との戦いだった。

今回こんなに余裕を持って育児に取り組めるのは、判断能力が上がっていろんなことが見極められるようになっていたからだろう。一人目をしっかり育ててきた証拠だ!そう思えたときやっと「自分はとても頑張っていた、やれていたんだ」と認められた。

 

下の子は全く離乳食を受け付けなくて、1歳過ぎたあたりまでミルクだけだった。

多分これが一人目の時だったら発育の不安、育児書通りに進められないプレッシャー、用意した離乳食が無駄にされたりで相当追い詰められていたと思う。

二人目で精神的な余裕があったおかげで「体重も増えてるし健康面に問題はなさそう。本人が食べないものを無理強いしても仕方ない。諦めよう」とどーんと構えていられた(保健師さんやお医者様にも相談済みの上)。

 

初めての子、「心配しすぎ」だったところもあるんだろうな、と今では思う。肩の力が入りすぎていたんだろうなって。

そんなのわかるわけないし何事もなかったから今言えることだけれど。そりゃ疲れるよね。

さらに一日中「赤ちゃんのために生きる私」になっていって、自我が崩壊する。

とにかく「私ってこんなに何もできない人間だったんだ」って無能感がすごかった。出産前にテキパキできていたことが、何も上手くできない。あれもやっていなかったこれも忘れてた…そんなことの繰り返し。え、もう着替えもガーゼもなくなる?洗濯しなくちゃ。粉ミルクとポットのお湯、補充忘れてた。哺乳瓶も早く洗って消毒しなきゃ。おむつのごみ箱もいっぱい…そこに進まない家事が追い打ちをかけ、何もしないバブ夫への失望と苛立ちでストレスフル。

 

「やることがいっぱい」と同時に、やりがい(達成感)のなさも私にはきつかった。

仕事をしていた頃は、毎週原稿の締め切りがあって週末には入稿しなければならないため「仕事を残す」ことは有り得ず、必ず全ての原稿をやりきっていた。締め切り厳守だからその日の予定はとても大事だったし、だからこそタスクをこなす充実感があった。営業の目標金額もあり、週目標、月目標…と細かく設定されていたから目標を達成するために今何が必要なのか見極め準備し、達成できなかったら何が原因か振り返り次に生かす。自分が成長している実感があった。

育児と真逆だ。赤ちゃんに予定もへったくれもない。目の前のことでいっぱいいっぱいで処理しきれない。やってもやっても「終わり」が見えない。目標もないし達成感も充実感もない。できていることよりも「できていない」ことばかりが山のように立ちはだかり山を崩すのに精一杯。

寝不足で、母乳なら食事制限もあって、トイレや食事すらままならず、自分のしたいことは全部後回しで。

ふと我に返る。私って一体何なんだろう?こんな空っぽだったっけ?

 

母親が育児つらい、大変とか言うと

「自分が妊娠したくせに」

「だったら産むな」

「覚悟が足りない」

「そんな母親に育てられてかわいそう」

云々のリプが来ることが多いみたいだけど。

うるせーーーーー短絡的な単細胞生物は黙ってろ!!!!

「苦しい?自己責任」「大変?じゃあやめろ」って何の答えにもなってないしアドバイスですらない。我が子に対する愛情と責任感があるからこそ頑張っていて(なかったら放棄してる)、だからこそ悩んでるってちょっと考えればわかること。

こちらは複雑に出来ている高等生物なもので、「子ども可愛い」「寝不足つらい」「私の価値とは」「子どもの成長の喜び」「子どもの幸せ」「私の幸せ」等々同時進行で考えられるんだよ!すごいでしょ。どれも繋がっていて切り離せない。だから悩む。

子どもがいくら可愛かろうが睡眠が取れなかったら眠くてしんどい。私も人間なんだから。母親になったからって育児サイボーグになるわけじゃない。母親になったからって「私」の人生が終わるわけじゃない。自我も感情もある。初めて経験することを、準備も想像もしてたけど実際やってみたら思ってたよりもずっと大変だった。そう素直に思ったことを言ったら「自己責任」て?え?今一生懸命責任果たすために頑張ってるよ?

産むって決めたことと「自分の人生も大切にしたい」は両立しないのか?何で?母親だから?当然子ども優先だよ。私の人生全て捧げないと許されないの?

母親にどれだけ完璧を要求するんだろうね。こわいよ。

 

振り返ってみると「つらい」と思っていたことこそ、頑張っていた証拠。

頑張ってなかったらつらくないもんね。

だから今私はすぐ自分を褒める。褒める、というか認める。こんな忙しいのにあれもこれもやったの!?すごいな!って。

やって当たり前?やりたくない、ってやらない人もいるんだよね。もう一人の親を名乗ってる配偶者なんだけど。

一人目の時は「できていない」ことばかりに目が行ってしまって、それが「自分は何もできない」の原因になっていたと思う。自分を責めても惨めになるだけでいいことはなかった。

自分をいたわるのも労うのも自分しかいない(うちの場合は)。

だから明日のために自分を褒める。子どもを褒めるのだって自信をつけてほしいからだし、だったら何歳だろうが自分を褒めて自信をつけてもいいはず。

今日もよく頑張ったなーえらいなぁ。それだけで気持ちにもゆとりが持てるし、夜中にアイスを食べても罪悪感が少ない。ご褒美だから。

 

もう一つ、自己肯定感を取り戻せた(と思う)要因があったんだけれど、それはまた別の機会に書きたい(長くなりすぎたから)。 

お望み通り、静かにするね。

 

 

トーンポリシングについて、私は「話し手が正当な訴えをしているにも関わらず、聞き手は訴えの内容ではなく話し方や態度が悪いと話し手を非難することで議論を本筋から逸らせ、その口を塞ぐ行為」と認識しています。

 

 

ずっと違和感があった。

なぜ今ここで、私が非難されるんだろう?

話と無関係なことを持ち出して。

それがトーンポリシングだった。

あぁ夫は私の話を聞きたくないがために口を塞ごうとしてきたんだと理解した。

夫は私の話を聞きたくなくて、黙らせたかっただけだと。

話し合いのたびに、

「言い方が悪い」

「態度が悪い」

「怒るのやめて」(これが一番多い) 

ちょっと違うけど、「よその奥さんはそんなこと言わない」なんてのもあった。

誰だよその奥さんて。

まだ夫の本質が見えてない頃だったのでこれを言われたときは反射的に「私の訴えはおかしいんだ」と思ってしまったし、誰かもわからない「よその奥さん」と比較されて「お前はダメだ」と言われていると感じて傷付いた。夫が自分のことを棚に上げて私を黙らせたいだけだったのに。しかもこれ言ったの、夫が最大級に最低な行為をした後だからね。「自分は悪くない」を守るために必死に相手を非難する。こんなとんちんかんなこと言って。すごいよ。

 

そして冒頭の先日のツイート。

「散らかすのをやめて」という訴えに対して

「静かにして」を繰り返す。

「は?勝手に散らかすからでしょう?」

「ほら、そういう言い方やめて」

とにかく自分の行為は省みず私の口調や態度ばかりを責められる。

私は「怒れば余計この人の思うつぼだ」といら立ちを抑えなければならなくなる。目の前がチカチカする。とても苦しい。

終始「こっちは冷静なのにあなたはそんなに感情的になって」という態度で馬鹿にされ、迷惑行為をやめてと言うことも、怒ることすらも軽蔑されるような口調で許されない。

 

トーンポリシングは私を圧倒的に弱者扱いしているから、完全に見下しているからできる行為。自分より格下の相手からの話など聞く耳を持つ必要はない。でも相手が黙らない。だから口を塞ぐために(訴えの内容にはまともに反論できないから(自分が悪いって理解してるのか?))トーンポリシングをするしかないのだ。

 例えば会社で上司に「こういうミスは困る」とか指摘されたとき、

「静かにして」

なんて絶対言わないはず。ミスを反省して、真摯に向かい合って聞くだろう。

上司でなくてもいい、先輩でも同僚でも友人でも。とにかく外の人間にはそんな態度取らない。自分の立場が、相手との関係性が悪くなるから。

だけど私の話は聞きたくないし、聞く必要もない。私がどう思おうが関係ない。自分が絶対的に上の立場だから。

 

それでいて「話し合おう」なんて平気で言う。

私の口を塞ぐのに?

理不尽な言動を受けて怒るのは人間なら至極当然なのに、その感情すら踏み付けて抑え付けてくるのに?泣くのを馬鹿にしたこともあった。

夫の「話し合おう」が「俺の望みを叶えろ」でしかないのは聞く前からわかる。

 

だから今日は静かにしていたんだけど。

私に話はさせないのに、自分の話を聞かないのは無視になるんだよね。

何をしても、私は加害者にされるし夫は被害者の立場。

 

夫の発達障害を疑って相談した精神科の先生の、

「無視すればいいんです。おかしなこと言ってるって。何を言っても本人には理解できないんだから」

という言葉が 福音に思える。

相談しに行ってよかった。

夫の言動を真に受けて、一人で苦しんでいたらいつか絶対壊れていたと思う。

書いている今もまだ、言葉を、感情を理不尽に抑え付けられた悔しさは癒えていない。

そして夫の迷惑行為の後始末も私がしなければならない。

何を言っても相手は理解できないし、する気もなく「ただ怒っている」としか受け取らずまた私を見下すだけ。

本当に夫はなぜ私と結婚したんだろうな。

 

私の気分が晴れるのは夫の今までのことを世間に全てぶちまけて社会的地位を失わせたときだと思うけど、それを叶えても別に私は幸せにはならないよな、とも思う。

まず私の精神衛生を良くすること、それから私と子どもの人生を充実させること。

そのためにできることを考えていこう。

 

初めて外部に助けを求めた日。

探し物をしていたら、「発達障害相談・支援機関一覧」なんてパンフレットが出てきた。数ヶ月前、夫の発達障害を疑って初めて保健所で相談したときもらったものだ。

 

夫のことで相談が、発達障害かも知れなくて、と言うと受付のおじさんは何となく気まずそうだった。気まずいのは私だったのかもしれないけれど。

対応してくれたのは女性の保健師さんで、どこかの部屋に入るでもなく、ロビーのソファで話を促されたのは意外だった。こんな個人的な話をここで?随分ゆるいんだなぁという印象。

 

何から話せばいいかわからなかった。

夫の言動がおかしいと思うけれど、本当は私がおかしいんじゃないか?と正直わからなくなっていた。私が神経質すぎるんじゃないかとか、私の捉え方が歪んでるんじゃないかとか、何が「まとも」なのか自信が持てなくなっていた。人付き合いが多かったわけではないから、私の考え方の方が一般的ではないのかもしれない。

私が得た情報は本やネットからのもので、もちろんいろいろ当てはまる点があったからこそ疑いを持ったわけだけれど、所詮自己判断。現実で人に話したことはなかった。こんなおかしな話を聞かせてしまってよいものか、こんなことを話す私こそ精神に異常をきたしていると思われないか、とてもとても不安だった。努めて冷静に話した。

 

だから保健師さんが私の話を否定せずにずっと聞いてくれて、夫のおかしいと思っていたところに同意してくれたとき、本当に安心した。話をして、話した通りに理解してくれて、意味の分からない返答がくることもなくスムーズに会話が続くって、こんなに気持ちのいいものだったんだって驚いた。

 

保健師さんは、医師ではないので自分が診断を下すことはできないけれど、話を聞いた限りでは発達障害の疑いがあると思います、と言った。それだけで今までの苦労が報われた気がした。何一つ解決してないんだけど、おかしいと感じて良かったんだと、心の底から安堵した。「夫のおかしさ」を実際に晒すのは、とても勇気の要ることだったから。

それから前述のパンフレットをくれたり、最寄の保健所で相談できるか問い合わせてくれたりその連絡先を印刷してくれたりと、とても親身になって対応してくれた。道が開けた気がした。実際それで精神科の専門医の先生に相談できる機会を得られたのだから、このときの一歩は私の人生でTop5に入るくらいの英断だった。

 

まぁその相談内容も夫に対しては何の意味も持たなかったんだけど。

(後日改めて書きたい)

結局発達障害とか自己愛性人格障害とかモラハラとかバブとか何であれ、本人(夫)が当事者意識を持たない限り、外部が、それが例え配偶者であっても何をしても無駄なんだよね。本人は何一つ困ってないし不自由してないから。だから治療や投薬もできないって先生も話していた。それはそうだよね。困ってるのも不自由してるのも周り(私)。だから本人には何の関係もない。夫にとって大事なのはいつだって自分だけだから。

 

外に出るとみんな本当に優しくて親切なんだよね。夫以外の人は。私は人に恵まれてきたなぁってずっと思ってたんだけど、そのツケを夫で払ったのかも知れない。

でも誰かの呟きや本で夫について知る機会を得られて、こうした相談窓口や助けを求められる場所もあって、やっぱり人に恵まれてるし運がいいなぁって思うのは根が単純なんだろうな。

誰かに支えられたり助けられたり救われていると知らず知ろうともせず、自分も誰かにそのお返しをしようって思わない夫を、なんだか寂しくてかわいそうな人間だなって思うこともある。

会社の人や友人に対しては上手く取り繕えるかもしれないけれど、最期のとき、あなたのそばには誰がいるんだろうね。

その意味も今の夫には理解できないし通じないんだろうなって思うと、やっぱり離れる以外の選択肢はない。

相手の言葉を「受け取らない」、という選択。

先日初めてツイートがバズった。

(ツイ内容については後日改めて)

 

「バズる」の定義がわかんないけど、とにかくいいねが1万を超えたら初めてクソリプというものもたくさん来た。

全く傷付かなかった、と言ったら嘘になる。けれどそれよりもたくさんの共感や暖かいコメント、応援のメッセージをいただいてありがたいという気持ちの方が大きかったから、嬉しくて数日は全くバブ夫にイラつくこともなく何なら鼻歌しながら家事をこなせた。

励ましや優しいリプ・マシュマロなどくださった皆様、本当にありがとうございます。

 

とはいえ。

夫のことも私のことも何にも知らないくせに私を必死に侮辱しよう、貶めようとしてくるクソリプに対してギャフンと言わせてやりたいという醜い気持ちがあったのも事実で。

自分の思ったことを呟いただけなのに勝手に覗いて叩かれる筋合いはない。ましてやクソリパーに宛てた内容でもないのに、何なんだろうね彼らは。思い当たる節でも?

気にしないと思いつつ、受けた明確な悪意は澱のように時たま心を濁らせる。

 

それでも私はわりと運がいいと思って生きてきていて、いろいろ理由はあるけれど、その一つに「悩みの答えや道筋が何かの拍子で得られてどうにかできる場合が多い」(当社比)。

今回もね、私のためなのかなって(違う)マンガがあって。

それが「ぶっカフェ!」(作:小林ロク)。

ご存知Twitter上で4コママンガを掲載している「ツイ4」の人気マンガです。

ほのぼのハートフル仏教コメディで、4コマで読みやすいのに愛あり笑いあり涙ありな上にありがたい仏教の教えまで学べる本当にほんっとうに最高の作品なのでぜひ御一読いただきたい。4巻まで絶賛発売中です(ダイマ)。

昨日その最新刊(4巻)を読んでいて。その中の4コマ×2が私に救いをもたらしてくれたのです…以下概要&抜粋。

 

p.105「ホトケ流受け取り拒否」より

ある男がお釈迦様を訪ね、ありったけの悪口をぶつける。

お釈迦様は何も言い返すことはなく、男は勝ち誇り、弟子たちは憤るが。

お釈迦様は問う。

「もし君のもとへ 客人が来て

 もてなした料理を客人が食べてくれなかった時

 その食事は誰のものになるだろうか?

 私は君の悪口を一つも受け取らない

 だから全て君が受け取ることになるんだよ」

 

p.106「徒労しないスタイル」

「意に介さなければ相手は虚空に向かってあおり続ける図になるんだけどね…」

 

クソリプや悪口は無視するのが正解と言われがちだけれども。

でも「無視」だとあるものをないとみなす、ということだからクソリプ受け取っちゃってるんだよね。

だからここは「受け取り拒否」。一人でどうぞ虚空に向かってお話しください、って。

 

誰かに面と向かって暴言吐かれたことはないし今後クソリプ来ることもないと思うんだけど、心に留めておきたい。相手の言葉の受け取り拒否ができること、知ってるのと知らないのとじゃ全然心の軽さが違うもんね。

 

「ぶっカフェ」は他にも仏教の教えがいろいろ描かれていてとっても為になるのでオススメです。また登場人物がみんなやさしくて癒されるんだ……

ぜひ。

 

 

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