産んでない大きな長男、捨てます。

結婚した途端現れた「大きな長男」通称バブ夫。どこの子かな?自分のおうちに帰ってね。

どんどん自分を褒める。

自己肯定感、育児をしたことのある人なら大抵みんな地の底まで落ちたんじゃないだろうか。

想像していた「育児の大変さ」って傷も癒えぬ間にする子どもの世話とか寝不足とか主に身体面に関してで、まさかこんなに精神をやられるとは思ってもみなかった。

 

私がようやく自己肯定感を取り戻したのは二人目が生まれてからだと思う。

下の子の世話があんまりスムーズにできたからびっくりした。

上の子のときは2リットル出血したりと危険な出産だったけれど、下の子はすんなり生まれて身体のダメージが少なかったのもあるかも。

3年ぶりの新生児だけど「強くてニューゲーム」状態だった。

上の子のとき、手探りで確信もないまま不安になりながら必死にやっていたあれこれ。実はちゃんと経験値を得られていて、全く自覚なかったけどレベルアップしてたんだ…!って感動した(自分に)。ドラ〇エとかみたいに音楽が流れて知らせてくれていたら、当時どんなに自信になっただろう。

下の子が泣いていても、前ほど焦らなかった。なんとなく何を欲しているかわかった。何が必要で何の準備をすればいいか慌てることもなかった。

手際が良くなっていたというのもあるけれど、一番の要因は「迷う」ということが格段に減ったことだと思う。

出産前にいくら育児書を読んで母親学級に行っていても、所詮付け焼き刃の知識。実際やってみると「百聞は一見に如かず」を身をもって実感することばかりだった。股の傷の痛み、細切れ睡眠のしんどさ。ミルクの適量、体重の増え方、うんちの状態。わからないことばかり。

これでいいのかな、大丈夫なのかな…相手は一瞬の油断も許されない生き物。とてつもない緊張感の中、慣れない作業の連続で何をするにも不安なのに、全責任を負いながら常に何かしらの判断を迫られていたように思う。最善を尽くすために迷って、わからないから調べて、やっぱりわからないけどどうにか選択して。毎日「迷い」との戦いだった。

今回こんなに余裕を持って育児に取り組めるのは、判断能力が上がっていろんなことが見極められるようになっていたからだろう。一人目をしっかり育ててきた証拠だ!そう思えたときやっと「自分はとても頑張っていた、やれていたんだ」と認められた。

 

下の子は全く離乳食を受け付けなくて、1歳過ぎたあたりまでミルクだけだった。

多分これが一人目の時だったら発育の不安、育児書通りに進められないプレッシャー、用意した離乳食が無駄にされたりで相当追い詰められていたと思う。

二人目で精神的な余裕があったおかげで「体重も増えてるし健康面に問題はなさそう。本人が食べないものを無理強いしても仕方ない。諦めよう」とどーんと構えていられた(保健師さんやお医者様にも相談済みの上)。

 

初めての子、「心配しすぎ」だったところもあるんだろうな、と今では思う。肩の力が入りすぎていたんだろうなって。

そんなのわかるわけないし何事もなかったから今言えることだけれど。そりゃ疲れるよね。

さらに一日中「赤ちゃんのために生きる私」になっていって、自我が崩壊する。

とにかく「私ってこんなに何もできない人間だったんだ」って無能感がすごかった。出産前にテキパキできていたことが、何も上手くできない。あれもやっていなかったこれも忘れてた…そんなことの繰り返し。え、もう着替えもガーゼもなくなる?洗濯しなくちゃ。粉ミルクとポットのお湯、補充忘れてた。哺乳瓶も早く洗って消毒しなきゃ。おむつのごみ箱もいっぱい…そこに進まない家事が追い打ちをかけ、何もしないバブ夫への失望と苛立ちでストレスフル。

 

「やることがいっぱい」と同時に、やりがい(達成感)のなさも私にはきつかった。

仕事をしていた頃は、毎週原稿の締め切りがあって週末には入稿しなければならないため「仕事を残す」ことは有り得ず、必ず全ての原稿をやりきっていた。締め切り厳守だからその日の予定はとても大事だったし、だからこそタスクをこなす充実感があった。営業の目標金額もあり、週目標、月目標…と細かく設定されていたから目標を達成するために今何が必要なのか見極め準備し、達成できなかったら何が原因か振り返り次に生かす。自分が成長している実感があった。

育児と真逆だ。赤ちゃんに予定もへったくれもない。目の前のことでいっぱいいっぱいで処理しきれない。やってもやっても「終わり」が見えない。目標もないし達成感も充実感もない。できていることよりも「できていない」ことばかりが山のように立ちはだかり山を崩すのに精一杯。

寝不足で、母乳なら食事制限もあって、トイレや食事すらままならず、自分のしたいことは全部後回しで。

ふと我に返る。私って一体何なんだろう?こんな空っぽだったっけ?

 

母親が育児つらい、大変とか言うと

「自分が妊娠したくせに」

「だったら産むな」

「覚悟が足りない」

「そんな母親に育てられてかわいそう」

云々のリプが来ることが多いみたいだけど。

うるせーーーーー短絡的な単細胞生物は黙ってろ!!!!

「苦しい?自己責任」「大変?じゃあやめろ」って何の答えにもなってないしアドバイスですらない。我が子に対する愛情と責任感があるからこそ頑張っていて(なかったら放棄してる)、だからこそ悩んでるってちょっと考えればわかること。

こちらは複雑に出来ている高等生物なもので、「子ども可愛い」「寝不足つらい」「私の価値とは」「子どもの成長の喜び」「子どもの幸せ」「私の幸せ」等々同時進行で考えられるんだよ!すごいでしょ。どれも繋がっていて切り離せない。だから悩む。

子どもがいくら可愛かろうが睡眠が取れなかったら眠くてしんどい。私も人間なんだから。母親になったからって育児サイボーグになるわけじゃない。母親になったからって「私」の人生が終わるわけじゃない。自我も感情もある。初めて経験することを、準備も想像もしてたけど実際やってみたら思ってたよりもずっと大変だった。そう素直に思ったことを言ったら「自己責任」て?え?今一生懸命責任果たすために頑張ってるよ?

産むって決めたことと「自分の人生も大切にしたい」は両立しないのか?何で?母親だから?当然子ども優先だよ。私の人生全て捧げないと許されないの?

母親にどれだけ完璧を要求するんだろうね。こわいよ。

 

振り返ってみると「つらい」と思っていたことこそ、頑張っていた証拠。

頑張ってなかったらつらくないもんね。

だから今私はすぐ自分を褒める。褒める、というか認める。こんな忙しいのにあれもこれもやったの!?すごいな!って。

やって当たり前?やりたくない、ってやらない人もいるんだよね。もう一人の親を名乗ってる配偶者なんだけど。

一人目の時は「できていない」ことばかりに目が行ってしまって、それが「自分は何もできない」の原因になっていたと思う。自分を責めても惨めになるだけでいいことはなかった。

自分をいたわるのも労うのも自分しかいない(うちの場合は)。

だから明日のために自分を褒める。子どもを褒めるのだって自信をつけてほしいからだし、だったら何歳だろうが自分を褒めて自信をつけてもいいはず。

今日もよく頑張ったなーえらいなぁ。それだけで気持ちにもゆとりが持てるし、夜中にアイスを食べても罪悪感が少ない。ご褒美だから。

 

もう一つ、自己肯定感を取り戻せた(と思う)要因があったんだけれど、それはまた別の機会に書きたい(長くなりすぎたから)。